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2000年4月18日 法政大学における講演レポート
【青木雄二は落語家で言うなら,名人古今亭志ん生である。(11/12)】
これらは言ってしまえば確かに志ん生個人から独自に編み出されたと言う物ではなく,その時代々の人々の生活の実体感の中から噴き出すようにして現われ,徐々に暖め育成される事によって面白可笑しく語り継がれて来た『落語と言う一般大衆の生活に密着した芸』による『落語』ならではのフレーズとも言えましょう。しかし,肝心な事はそれが志ん生と言う名人が語る事によってより一層その説得力を増し,輝きを発するようになったと言う事に関しては,先述した志ん生その人による数々の裏打ちがあればこそと言う事と,何よりそれが彼が名人の尊称を受けるに値いする由縁であるとも言えるのです。これらの事を検証した上で彼と唯物論と結ぶのであれば,志ん生は極貧の中での極貧を極めた数少ない人間であると言う実存を踏まえながら考える時,確かに彼の生きた時代を思えば彼自身の思考の中に『唯物論』と言う言葉と定義そのもののの認識がそこにはなかったにしても,しかし間違いなく当時の彼の脳裏には(神さんなんかいやしねぇ)とかの実感は確実にあったには違いありません。何故なら(神さんは志ん生に食を与えてくれた訳ではないし又,つきまとう借金を払ってくれた訳でもない。真打ちに昇進するに至っても彼は彼自身の力量でなったんだと言う自負が必ずあったはずでしょうから(^^;))。。。長くなりついでにその証拠をもう一つだけ申し上げると,改名に改名を重ね,それでもそこに終止符を打つ事となった『志ん生』の名は,実は先代,先々代とその演者達が短命であった事を理由に,志ん生の女房の『おりん』さんが襲名する事を必死で押し止めるのも志ん生は聞かずに,「俺は本当に志ん生になりたかったんだ。なりたかったからなるんだ,名前なんかで死んでたまるかい!」と言ってのけその結果,ついにその83才の生涯を閉じるまで『志ん生』の名を押し通してしまった。と言う経緯があるのです。(何だかまるでデカルト「我思う故に我あり」みたいやなぁ。。。(^-^))今ではそれこそ落語界に於いての大一代看板である『志ん生』の名ではありますが,それはあくまで『志ん生』と言う名前が志ん生をこしらえたのではなく,志ん生その人が『志ん生』と言うバリューをこしらえあげたのです。いかにも唯物論的な話しではありませんか。『唯物論は名人を作る』。。。けだし明言だとは思われませんか?!(Muuu.....beautiful!(^_^)v これは余談中の余談ですが,落語の『疝気の虫』と言う演目のまくらで志ん生がキューバのカストロについてしゃべっている音源があるのですが,共産主義者にとっては,全くをもって嬉しい話しではないですか?!しかしこの辺も又,名人の名人たる由縁でしょうな(^-^))
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